2007年10月06日

街道をゆく 〜紀州街道 その1

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〜 住吉から大和川へ 〜

紀州街道は、江戸時代、大阪和歌山をつなぐ要路として整備されました。

経路は、高麗橋東詰から堺筋を南に下り、天下茶屋、住吉大社前を通り、堺に入り、大阪湾に沿って和歌山に入る、というものでした。

紀伊徳川藩をはじめとする参勤交代の大名や商人たちで大いににぎわったそうです。

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往時をしのばせるたたずまいが残ります。

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この霰(あられ)松原のあたりは当時、海岸に沿った、白砂青松の風光明媚な地であったようですが、今は海も遠くに行き、面影はまったくありません。

「霰打つ あられ松原すみのえの 弟日(おとひ)おとめと見れど飽かぬかも」 長皇子(ながのみこ)

霰松原の名は、当時松風が霰の音のように強く吹きつけたことからついたといわれています。

童話の一寸法師はこのあたりで生まれ、住吉大社の前から、お椀の船で京に上ったそうです。

因みにこのあたりは、針の職人が多かったそうです。

しばらく行くと、安立商店街にさしかかります。

大阪有数の商店街だったこの商店街も、店主の高齢化が目立つようになり、空き店舗も目立つようになって来ました。

古い家並みも多く、なぜかほっとします。こういう歴史のある商店街は、なんとか残ってほしいものです。

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靴下屋の露天商のおじさんは元気でした。(ねだんにビックリ!)


商店街のアーケードを抜けて、しばらく行くと、上り坂が見えてきます。

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坂を上りきったら(!)、大和川に掛かる大和橋です

大和川はいわゆる「天井川」です。

大量の土砂を運んでくるので、川底が周りよりも高くなっているので、橋を渡るにも坂を上らないといけないのです。


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大和川は天井川。橋の上からはいい眺めです。

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ひとつ上流の橋は、めずらしい路面電車の鉄橋です。

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大和川は、中河内の洪水をなくすため、江戸末期に中甚兵衛らによって、今の場所に付け替えられました。

大阪では、小学校で学ぶ有名な話です。中甚兵衛は父の代からのこの念願を、驚異的な執念でかなえたといいます。

ただ、もともと地続きであった土地を川で二分され、港や海岸を土砂でだめにされた堺や住吉の人の評判はあまりよくないようです。

大和橋を渡りきると、堺市内に入ります。




 
posted by 毛利志 満 (アナログ営業研究会主宰) at 14:56| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ぶらり散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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